得る勉強と放す勉強:前編

親愛なる皆さん

おはようございます。

子供の頃、学生時代、私は本当に勉強が嫌いで

嫌いで仕方がなかった。その反面、働くことが

大好きで、中学、高校時代は様々なアルバイトをした。

運送会社で引っ越しの助手、食品スーパーでの売り子、

アサリ売りの行商、教材の販売、道路工事、工場の清

掃員・・・時には、学校をサボってアルバイトをして

いた。それくらい働くことが好きだった。

それが今も続いている♪

そんな勉強嫌いな自分が、今、勉強の大事を痛感

している。それどころか、研修を事業としている。

つまり、勉強することを本業としているわけだ。

当時からは考えられない。

そして、この年齢になり、つくづく思うことは、

勉強の仕方には二種類があるということ。

簡単に表現すると、

得る勉強と、放す勉強。

どちらも大事だが、理屈ばかりで行動しない大人

には、後者を勧めたい。

子供の頃、私が嫌っていた勉強は正に知識や

考えを得る作業、つまり理屈、理論であります。

これらを身に着けることによって、言語力や

計算力などは高まり便利になる反面、閃きや思い

と行動の間に理屈、理論が割って入り、即行動

しなくなる。更には出来ない理由を並べだす、

屁理屈を言いだす。それが年齢と共に益々エス

カレートし、ついには理屈だけで殆ど行動しな

くなる。理屈抜きで、思ったら即行動をしてい

た(勿論そのせいで失敗もするが)純粋でキラキラ

輝いていた子供が、気が付けば思いと行動が伴っ

ていない輝きを失った大人になっている。

理屈理論を身に着けることや、考える事は勿論

悪いことではない、それどころかメチャクチャ

大事だ。大事だが、それらが行動を抑制する道具

になってしまっている場合が多い。

そこで必要だと思うのが、もう一つの勉強法

それが“放す勉強”だ。

過去に得た理屈理論、出来ない理由、屁理屈が

行動を止めてしまっている。あたかも、こびり付い

たしつこい汚れのような、お腹の周りについてしま

った贅肉のような、それらを取っ払い、突き放して

しまう。

理屈抜きで即行動していた子供の頃に持っていた

ピュアな心の周りにくっ付いてしまった汚れや贅肉

をどんどん取っ払っていくと、奥の方にある(相当

奥の方だと思うが)あの頃のピュアな心、素直な心

が見えてくるはず。否、必ず見えてくる。

長くなりそうなので、2回に分けます。

今朝はこの辺で、つづきは次回

今日も一日良い日に致します。

物流応援団長(兼)応援され団長

山田泰壮(やすお) 拝

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA