態度は自分で決めることができる

親愛なる皆様
おはようございます。

「態度価値」のことは以前にも書いたが、
今朝も書きたくなったので、また書く。

ナチスでの強制収容所での体験を描いた
ヴィクトール・フランクルの著「夜と霧」は、
有名だが、精神科医のフランクルは他にも沢山本を
書いている。その中の「死と愛」に書かれている内
容の一部を今読んでいる別の本の中で発見し、深く
感銘し、何度も読み返した箇所があるので、そこを
引用する。

人が生きる上で実現する価値には三つの段階がある。
その一つは一般的にいわれる、何かを生産するよう
な創造的な活動を意味する「創造価値」というもの
です。例えば絵を描くなど、良い者、美しいもの、
素晴らしいものを創り出すクリエイティブな創造価
値が、この第一段階の価値に当たる。言い換えれば、
絵を描くなどの行為を通して、「世界」に何かを与え
る行為を「創造価値」と呼びます。次に「何かを与
える」ことはできなくとも、例えば美しい風景に感動
するといった行為に伴なう価値を「体験価値」と呼び
ます。そして、創造的な行為も、素晴らしい体験も制
約され、生命が大いなる苦悩に直面した時にも、その
苦悩をどう対処するかによって、第三の価値である
「態度価値」が実現されると考える。そして、彼は
この態度価値を三つの価値の一番上に置いています。
(福島智著:ぼくの命は言葉とともにある)

 

ナチスの強制収容所の極限状態を体験した人の理論
定義だけに深く重みがある。
その体験と比べると私達の日常の苦悩などは、たかが
知れている。されど、その人によって、その時によって
様々な苦悩があり、その苦悩の大きさ重さは比較して
出来るものでは無い。その人にとっては苦悩は苦悩な
のだ。

そう捉え、先の「態度価値」を日常に自分に置き換え
てみた時、うまくいかない、厳しい、辛い、苦しい、
すなわち苦悩の状態に陥った時、自分は一体どういう
態度でいるだろう。

眉間にしわを寄せ険しい表情をしているか、
肩を落としうつむいて暗い顔をしているか、
はたまた他人のせいにしたり、当たり散らしたり
しているか・・・

どんな状況の中にあっても態度だけは唯一自分で
選択できる。苦悩の状態に陥った時にも、冷静でいるこ
とも、上も向いて歩くことも、果敢に挑んでいくことも、
全て自分で決めて行なうことができる。

今日も一日良い日に致します。
物流応援され団長・山田 押忍!

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