怒り悔しさ、されど、冷静に考察する

親愛なる皆様
おはようございます。

昨日は、とある出来事から、
コミュニケーションや意思統一の難しさを
痛感し、残念無念、怒りや悔しさが入り交じり、
頭を抱え考えさせられる一日でした。

今朝も目を覚ますと、そのことを引きづって
いました。

コミュニケーションの難しさについて、
過去に拙著に書いたのを思い出したので、
読み返してみた。

**********
我々は常にコミュニケーションをとりながら
仕事、暮らしをしている。しかし、果たして、
そのコミュニケーションは、ちゃんと成立し
ているのだろうか?

ピータードラッカーは、
「コミュニケーションは期待だ」と云う。
「人は、自分が期待する事柄しか知覚しない」
つまり、人は見たいようにしか見ず、聞きたい
ようにしか聞かない。

だとすると、自分が、こうだと思って伝え
ていることでも、相手が、それをどう聞き、
どう捉えているかは計り知れない。
つまり、コミュニケーションが成立してい
るかどうかの決定権は、全て受け手にある
ということだ。

真にコミュニケーション能力が高い人とは、
つまりは、相手の期待をキチッと認識し、
期待通りに発信できる人に他ならない。

「誰も居ない森の中で木が倒れた。その時、
はたして音はするか?」という問いがある。
答えはノーだ。 あくまでもドラッカーの
理論ではノーである。
たしかに音波は発生する。しかし、誰かが
音を耳にしない限り、音はしない。
音は知覚されることによって、音となる。
「誰も聞かなければ、音はない」
ここにいう音こそ、コミュニケーションで
ある。聞く者がいなければコミュニケーシ
ョンは成立しない。意味のない音波がある
だけである。

職場において、家庭において、社会において
起きている問題の殆どは、人間関係の問題に
根ざしている。こちらの気持がうまく伝わら
ない、分かってくれない、人材育成、商談、
プレゼンテーション、常日頃の社員や家族、
仲間との会話・・・これまでコミュニケーシ
ョンだと認識していたそれらは、多くが成立
していなかったのかもしれない。私達は相手
に向かって意味の無い音波を発信していたの
かもしれません。

長年、「伝える力」の研修講座を主催し、
受講生の皆さんと共に学び鍛えているはずが、
まだまだ道半ば。。。

昨日の出来事は明らかにコミュニケーション
が成立していなかったことを痛感させられる
出来事だった。

自分に何が不足しているのか?
自分の真の課題は何なのか?
落ち着いて冷静に考察します。

今日も一日良い日に致します。
物流応援団長(兼)応援され団長
山田泰壮(やすお) 拝

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA