謝れる人になろう

親愛なる皆さん
おはようございます。

人の話しは、受け手によって決まるので、
同じ話を聴いても受け止め方によってその話はまるで
違った話になる。映画でも本でも何でもそう、
同じ映画を見てある人は感動して泣き、ある人は
役者の演技が下手だと腹を立て、ある人は上映中寝ていて
憶えていない。。。といった調子だ。

わたし事でもよく起きていることで、
何度も同じことを伝えているのだが、
あたかも初めて聞いたかのように、
「今日の社長のあの話しはとても印象に残りました」と。
でも、これは、受け手(聴き手)のその時時の気持ちや
おかれた環境、条件、成長度合いによって変わって
くるので、良いとか悪いとかは一概に云えない。

同じように、ことあるごとに伝えている言葉の中に、
「ありがとうよりごめんなさい」「謝れる人になろう」
がある。

年齢や立場、役職などが上がっていくと、
とかく、謝らない(謝れない?)人が増えてくる。
プライドなのか、体裁なのか、意地なのか、

私は悪くない!なんで自分が謝らなくちゃいけないんだ!
と、何故だろう?年齢、立場、役職を重ねていくと、
どうしても傲慢になってしまうのか?

「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」
できれば、そうありたい、
でも、それは、言うは易し、行なうは難しのようだ。

そもそも、感謝の「謝」は、謝る(あやまる)という字だ。
だから、謝れない人は、感謝の念が足りない人だと思う。

感謝の気持ちが度えお超えると「ごめんなさい」とか
「すみません」と云いたくなる、そんな経験は無いだろうか?

そして、「ありがとう」は、自分に対して有り難いことを
してくれた人や、自分を喜ばせてくれたり、嬉しい想いを
させてくれた人、つまり「ありがとう」は自分本位だ、
だから実は易い。

でも「ごめんなさい」は、自分がどうであろうが、相手に
嫌な思いをさせてしまった、辛い思いをさせてしまった時に、
使う言葉だから、相手本位だ、人の気持ちに立って物事を
捉えることができなければ「ごめんなさい」は難い。

私は悪くない!
なんで自分が謝らなきゃならないんだ!
の中には、相手の気持ちは微塵も無い、自分本位の極みだ。

我々の世代の者達に謝れない人は圧倒的に多い。
本当に、ごめんなさい。

「謝れる人になろう」
子や孫、次世代のリーダーには、しっかり伝えていきたい。

今日も一日良い日に致します。
物流応援団長(兼)応援され団長
山田泰壮(やすお) 拝

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