謝れる人になろう
親愛なる皆さん
おはようございます。
人の話しは、受け手によって決まるので、
同じ話を聴いても受け止め方によってその話はまるで
違った話になる。映画でも本でも何でもそう、
同じ映画を見てある人は感動して泣き、ある人は
役者の演技が下手だと腹を立て、ある人は上映中寝ていて
憶えていない。。。といった調子だ。
わたし事でもよく起きていることで、
何度も同じことを伝えているのだが、
あたかも初めて聞いたかのように、
「今日の社長のあの話しはとても印象に残りました」と。
でも、これは、受け手(聴き手)のその時時の気持ちや
おかれた環境、条件、成長度合いによって変わって
くるので、良いとか悪いとかは一概に云えない。
同じように、ことあるごとに伝えている言葉の中に、
「ありがとうよりごめんなさい」「謝れる人になろう」
がある。
![](https://i0.wp.com/www.yamanet.tv/wp/wp-content/uploads/2024/01/421130899_7098154743599082_6793375741970593845_n.jpg?resize=358%2C376)
年齢や立場、役職などが上がっていくと、
とかく、謝らない(謝れない?)人が増えてくる。
プライドなのか、体裁なのか、意地なのか、
私は悪くない!なんで自分が謝らなくちゃいけないんだ!
と、何故だろう?年齢、立場、役職を重ねていくと、
どうしても傲慢になってしまうのか?
「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」
できれば、そうありたい、
でも、それは、言うは易し、行なうは難しのようだ。
そもそも、感謝の「謝」は、謝る(あやまる)という字だ。
だから、謝れない人は、感謝の念が足りない人だと思う。
感謝の気持ちが度えお超えると「ごめんなさい」とか
「すみません」と云いたくなる、そんな経験は無いだろうか?
そして、「ありがとう」は、自分に対して有り難いことを
してくれた人や、自分を喜ばせてくれたり、嬉しい想いを
させてくれた人、つまり「ありがとう」は自分本位だ、
だから実は易い。
でも「ごめんなさい」は、自分がどうであろうが、相手に
嫌な思いをさせてしまった、辛い思いをさせてしまった時に、
使う言葉だから、相手本位だ、人の気持ちに立って物事を
捉えることができなければ「ごめんなさい」は難い。
私は悪くない!
なんで自分が謝らなきゃならないんだ!
の中には、相手の気持ちは微塵も無い、自分本位の極みだ。
我々の世代の者達に謝れない人は圧倒的に多い。
本当に、ごめんなさい。
「謝れる人になろう」
子や孫、次世代のリーダーには、しっかり伝えていきたい。
今日も一日良い日に致します。
物流応援団長(兼)応援され団長
山田泰壮(やすお) 拝