工業系物流と商業系物流:その3 ~三河軍VS尾張軍~

親愛なる皆さん
おはようございます。

2008年、リーマンショック、愛知県の物流業界では
こんなことが起きた。
工業系物流会社がひしめく三河エリアでは各社車両8割の
稼働が止まる。一方、商業物流会社が軒を並べる尾張エリア
では稼働が止まる車両は2割に留まり、8割は稼働し続けた。

この出来事で明らかになったのは、平時は薄利で物量波動
は大きく効率の悪い商業系物流だが、人々の日常の暮らしに
密着している商材を扱っているだけに有事においても止まる
ことや無くなることはない。一方、工業系物流の平時は安定
収益で効率の高い仕事だが、有事の際には脆い。

2011年震災の時も、2020年~コロナ禍においても、、、
例えて云うなら、
景気の先行きが不透明で不安な状況下では、車の購入
にしても「次の車検まで買い替えは止めとこうか・・・」
という心理状態になるのは人の常、しかし、先行きが
不透明だから「食べるの止めとこか」とはならない、食費を
抑えることはあっても食べないというわけにはいかないし、
食べればその後に用も足す、用を足せば紙も使う、こうした
人の営みという観点からも工業系物流と商業系物流の特徴が
見えてくる。

リーマンショックでは、愛知県において、更にこんなことが
起きていた。私はこれを「三河軍VS尾張軍」と呼んでいる(笑)

8割の車両の稼働が止まり、先が見えない状況から脱出しよ
うと、これまで工業系のみで生計を立ててきた三河エリアの
物流会社の一部が、これを機に!ということで、尾張エリアへ
進行(侵攻?)、商業系荷主企業へ既存物流業者よりも安価な
運賃提示で業務を獲得(略奪?)していく(こうなれば、安かろうが、
無いよりマシ)、荷主側も背に腹は代えられず、委託先を既存業
者から切り替えていくところも出てきた、そんな状態が暫く
続きます。ところが、その後、景気が回復すると、進出してきた
先の会社達は安価な商業系業務尾張エリアから撤退し、
三河エリアへ戻っていきました。その後、尾張エリアは、
まるで戦が終わった荒地に安価な運賃だけが残った・・・

<その4>最終話へつづく

今日も一日良い日に致します。
物流応援団長(兼)応援され団長
山田泰壮(やすお) 拝

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA