技術の進化と人間の弱体:その1 ~平成の時代を振り返る~

親愛なる皆様
おはようございます。

平成30年という節目ということもあり、来年で年号が変わるということもあり、
テレビや新聞などでは、平成という時代を振り返るという番組や話題が多い。

ネット社会の今、バブル時代のディスコダンスをバブル時代に

生れていない子達が踊っている動画がSNSで大ブレイクしているというのも

なんだか不思議な感じがする。

1989年、平成元年。中国の天安門事件やドイツでベルリンの壁崩壊という

世界各国でも大きな出来事が起きた年だが、その時、日本はバブル絶頂期を迎ており、

その約2年後、湾岸戦争勃発、ソ連邦崩壊、そして、日本のバブルが崩壊する。

その後、阪神大震災、オウム地下鉄サリン事件、9.11同時多発テロ、

リーマンショック、東日本大震災・・・

その間、インターネットの急激な普及、ポケベル~携帯電話~スマホと進化し

世は正に高度情報化社会となり、今や世はAI(人工知能)の時代に突入している。

あげればまだまだ多くの出来事がある中で、主たる出来事を列記するだけでも

激動の時代だったことが分かる。

私個人の30年も振り返ってみた。
昭和最後の63年に結婚、長男が誕生、静岡に単身赴任、その後二人の娘も誕生し、

学校を卒業してから16年務めた会社を退職、ヤマネットを創業、多角経営、

事業拡大(膨張?)、毎年のように事業所を出店、山田バブル絶頂期を経て、

山田バブル崩壊、倒産寸前の状態で事業縮小、勉強会開始、研修事業開始、

マルヒデ運送事業承継・・・
個人的にもやはり、激動の時代だった。

平成の時代を振り返り、過去と今を比較すると私個人も事業も手前味噌ではあるが、

明らかに成長し強くなったと断言できる。それは、他ならぬ上記の如く経験体験からの

学習が鍛えてくれたことに他ならない。

なのに、世の中を見渡すとどうだろう・・・
これだけの(上記の如く)経験、体験をしておきながら、国や国民は

果たして強くなっただろうか?学習しただろうか?

確かに技術的な進化はした、否、し続けている。
効率化、スピード化、自動化、ネット化、AI化・・・
しかし、一方で、それら技術、道具、手段を開発し活用する側の人間自体が

どんどん弱体化していってはいまいか?いや、明らかにしている。これは一体どういうことか?

長くなりそうなので、今朝はこの辺で。
平成の時代を振り返りながら、「技術の進化と人間の弱体」、
このテーマをシリーズで考えていこうと思います。
では、次回。

さぁ今日から福岡を皮切りに今年の実践研修がスタート
します。気合をい入れて臨みます。
福岡の仲間達に会えるのが楽しみです。

今日も一日良い日に致します。
物流応援され団長・山田 押忍!

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