人生と自然との全体性

親愛なる皆様
おはようございます。

人間は自己に誠実に向き合うほど、自分がもっと大きな何か、
人生と意識がお互いに結びついた一つの織物のようなものの
一部その一表現にすぎないことがわかってくる。この気づき
はとても嬉しいと同時に苦しいのかもしれない。というのも、
自分の生活と自然との関係がいかに深刻に破壊されてしまっ
たかを理解しているからだ。人々はその関係を修繕しようと
懸命に努力するが、それは倫理的な義務感からではなく、
内面的な気づきによるものだ。自分は自然から分離している
のではなく、自然と一体なのだ、という覚醒である。人類が
自らを他の生命の上に立つ存在と位置付けることは、愚行
かつ高慢な姿勢だ。そのことに気づいた人は、他の命を含め
た大自然の中で、真実でつつましい場所を見つけようとして
いる。人生と自然との関係が立ち直ると、多くの人は、自分
が必要だと思っていた所有物に振り回されない簡素な生活を
送るようになる。そのうちに、自分が豊かなのは、何かを
所有しているからではなく、自分の魂を育んでくれる様々な
「つながり」があるからなのだ、ということを理解できるよ
うになる。

今朝の冒頭は、書籍「ティール経営」から少し長い文章を
引用した。 *フレデリック・ラルー著 英治出版

広く大きな視点と深い考察から描かれた文章だが、
日常の仕事や人間関係、会社経営に置き換えて捉える
こともできる。

公私共にあらゆる多くの人達との繋がりによって、
自分の存在は成り立っている、身近でいえば家族、上司、
同僚、部下、顧客、業界の仲間、友達、といった人たち。
それら多くの人達との繋がりのお陰で、仕事や暮らしが
成り立っているにも関わらず、ビジネスや利害のために
それを破壊してしまっている人を未だたまに見かける、
破壊とまではいかずとも蔑ろにしてしまっている人。

上記、ティール経営では、自分と自然とのつながりと、
広く大きな視点で表現をしているが、自分と他者との
つながりにも同じことがいえる。

経営の三大資源が「ヒト、モノ、カネ」と云われてから久しい。
しかし、現実的には「カネ、モノ、ヒト」と、優先順位が
逆になってしまった時代にどっぷり浸かり、その時代が長ら
く続いてしまい、未だその思考から抜け出せないエコノミッ
クアニマルの残党がいる。でも、「何かおかしい」と、
内面的な気づきが今さかんに起こり始めているような気がする。
どんな気づきか?

カネやモノが必要ないわけでは勿論ない、大事だ。
そうではなく、カネやモノに振り回されることなく、
ヒトが最上位であるというそもそもに戻る。
自分が豊かなのは、自分が恵まれた立場、条件で居られるのは
何かを所有しているからではなく、縁ある多くの人達との
「つながり」のお陰なのだという気づきである。

今日も一日良い日に致します。

物流応援団長(兼)応援され団長
山田泰壮(やすお) 拝

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