ラッキー

親愛なる皆様
おはようございます。

先日に続き今朝も映画について書こうと思う。

と、その前に、今朝は静岡の朝です。
2月から半年間のカリキュラムでスタートしたS社様の
出向型実践研修の為、昨日静岡入りし午後から夕方まで
行ないました。その後、静岡市内で旧友と合い、久しぶ
りに一献交わしました。静岡県は私がサラリーマン時代
単身赴任で6年間東奔西走した土地、私を育ててくれた
有り難く懐かしい場所、その場所でまたこうして仕事を
させて頂いていることは実にラッキーであります。

さて、映画の話題。
こじ付ける訳ではないが、今朝書きたい映画のタイトル
は「ラッキー」、名優ハリー・ディーン・スタントン主演
の映画で、テキサスの一匹狼で偏屈で現実主義の老人の
日常を描いた作品。ラッキーとは、その老人の名前
(というか呼び名)というわけだ。
ハリーは、昨年9月91歳で亡くなり、この映画が遺作と
なりました。そして、この映画のテーマは「死について
考える」という正しく!という内容になっています。

死について考えるということは生について考えること
に繋がります。というか生と死は分けて考えるものではなく
一つなんだということを思う、否、この映画は改めて
そう思わせてくれた。

ラッキーが行きつけのカフェやバーで友人たちと交わす
会話の中の言葉が粋で巧みで実に興味深く頭に焼き付い
ている。

こんなシーンがある。
行きつけのバーでラッキーが熱く語り始める。
店に居た常連客達は「またジジイの偏屈話が始まった」
と、呆れ顔をしながら聴いていた。
「この世の全ての物はいづれ必ず無に帰す、だからモノに
執着したって仕方ないのさ」と、ぶっきら棒に云うラッキー
に、そばにいた友人客が少し苛立ちながら問う「なら、ど
うすればいいんだ?」ラッキーは云う「微笑むのさ」。
すると、苛立っていた友人も呆れ顔をしていた常連客の顔も
微笑に変った。(セリフは若干脚色している)

諸行無常の世の中で、色即是空の原理原則の中で生きる
私達人間の究極の課題は、今日一日、今この瞬間を一所懸命
生きるということではないかと思うのです。

生きることはなかなかしんどい、上手くいかないことが多い、
老いは例外なく進んでいく、その流れを変えることができない、でも、周りを笑顔にすることくらいなならできるかもしれない、否、少なくとも自分を笑顔にすることならできる。

微笑もう。90歳の老人から教えられた。

今日も一日良い日に致します。
物流応援され団長・山田 押忍!

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