自分に問う~苦言に代わるもの

親愛なる皆様
おはようございます。

人は年齢を重ねていくと周りから苦言を
発してくれる人がどんどん消えていきます。
そこに立派な役職や肩書が付いて、立場
が偉くなってしまったら尚のことで、
苦言が消えていくどころか、同時に媚び諂い、
忖度が増えていきます。だから用心しないと、
真実が見えなくなり、自分が本当に偉くなっ
たと錯覚し、傲慢な裸の王様になっていって
しまいます。

私はそうはなりたくないから、
自分に対して苦言を発してくれる人に
自ら会いに行くように長年心掛けてきました。

しかし、このところ。。。

苦言を発して下さる方は、やはり私より
年上の方が多いわけで、それもかなり上の
方でなわけで、人生経験も豊富で、造詣が
深く、思想や哲学をお持ちの方なわけで。。。
というわけなので、そういった方々は、
必然老いていかれるわけで、そして、
お一人、またお一人と、この世を去って
いかれるわけです。

気が付けば、苦言を発してくれる人が、
このところ、めっきり減った。
気を付けなければなりません。
自分が謙虚さを失っていないか?
傲慢になっていないか?
苦言はめっきり減ったけど、その分、
常に自分にそう問うこと忘れてはなりません。
そう問い続けることが苦言に代わるものだと思います。

そんな気持ちになった時に、読むコラムがあります。
もう10年以上前、ある講師が大勢の中学生たちを前に
講演をした後に書いたコラムです。
今朝久々に読んでみた。何度読んでも涙が出る文章です。

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つい先だって、千人の中学生を前に偉そうにも「なぜ勉強を
するのか」という話しをした。そして、結論にしてもまた偉
そうに「勉強より大切なものがあるということを知るために
勉強するのだ」と言ってしまい、ちょっと恥じた。

講演のあと数人の先生との懇親の席で、ある先生が少し前に
あった中学一年生の7キロを走る校内マラソン大会に伴走し
たときの話をしてくれた。

その大会に出たK少年には母親がいなくて大工職人の父親に
育てられたという。Kは父親に「今度のマラソン大会で十位
以内に入ったら回転寿司に連れてって」と頼み、父親も喜ん
で承知したそうだ。K少年はまだ回転寿司に行ったことがな
かったのだ。

マラソン大会当日、K少年はスタートして1キロあたりでは
20位くらいにいたが、5キロでは6位に上がっていた。
走るコースには畑の狭い道もある。その水田わきの土の道に
なって間もなく、急にKは立ち止まると今来た道を戻りだし
たという。

Kは他の生徒がどんどん追い抜いて行く中を20メートルほ
ど戻ると、素早くしゃがんで道路に転がっていた握り拳ほど
の石ころを二つ拾い上げ、道路脇へ放り投げたという。
それからゴールへ向かって全速力で走り出した。

結局、少年は21位になった。伴走した先生があとでKに事
情を聴いても初めは笑って答えなかったが、何度か聴くと
「あの石ころを飛び越えたあと気になってしまって。あとか
らくる誰かがつまづいて怪我をしたら大変だから」と言った
そうだ。

先生は絶句したまま何も言えなかったという。
後日、先生がKの父親にこっそりたずねてみると、Kはマラ
ソンの終わった夜、父親にただ一言「10位に入れなかった。
来年がんばるよ」と言っただけだという。
ニコニコ笑っていたそうだ。   

先生の話しを聞き終わり、私は天をあおいで呻いた。
そして、この子の前ではさっき自分が講演で喋ったことなど
塵になって吹っ飛んでしまったのを感じた。
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久しぶりに読んだ。今回もまた涙があふれた。
傲慢な自分に気付かせてくれるのは、
苦言を発してくれる年上の先生だけではありません。

今日も一日良い日に致します。
物流応援団長(兼)応援され団長
山田泰壮(やすお) 拝

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