訓練して身につけるもの

親愛なる皆様
おはようございます。

司馬遼太郎さんが晩年に書かれたエッセイを
思い出したかのようにたまに読む。

司馬さんが亡くなって22年経ちますが、その時ちょうど
司馬さんの小説「世に棲む日々」を読んでいた時、
自宅にいてテレビの速報で司馬さんの訃報が流れ驚いた
ことを今でもよく憶えている。

「21世紀に生きる君たちへ」
司馬さんの遺言とも云われているこのエッセイは、
司馬さんが、21世紀に生きる子供たちへ、渾身の想い、
願いを込めて書かれたメッセージである。

昨日、久しぶりに読んだ。
文章も映画もそうだが、読むとき観る時、その時の年齢、
立場、おかれた状況、環境によって同じものでも捉え方
感じ方が全然ちがう。

以下、一部抜粋*********************
人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。他人の痛みを感じることと言ってもいい。やさしさと言いかえてもいい。
「やさしさ」「おもいやり」「いたわり」「他人の痛みを感じること」みな似たような言葉である。これらの言葉は、もともと一つの根から出ている。根といっても、本能ではない。
だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならない。
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改めて読むと、これは子どもに向けたメッセージではないと思った。優しさや、思いやり、いたわり、他人の痛みを感じることは本能ではない。だから訓練して身につけなけらばならない・・・

「21世紀に生きる君たちへ」というタイトルによって、
ついつい子供へ向けたメッセージと捉えていましたが、
現に私はこうして21世紀に生きているわけですから、
自分自身へのメッセージと捉えることが出来ます。

話しは変わり、私が主催する研修や自社内では、
ありがとうカードを促進したり、コーチング手法に
よって良い聴き方を意識的にするよう促進している。
これは、相手に優しく、相手を思いやり、感謝したり、
労ったりする態度を行動を意識的にするということです。

それを促進している私自身が実は、当初、感謝や労いの
態度、行動を意図的に行なうのはおかしい、これらは
内側から自然に湧いてくるものだ!と、これらの行為に
批判的な一人でした。

しかし、今は違います。
思えなかったり、自然に湧き上がってこなくてもいい、
意図的、意識的でもいい、まずは態度、行動形式を意識的
に変えていく、そして、それを継続していくうちに形が
意識や心中に落ちてくるという考えたかであります。

「優しさや、思いやり、いたわり、他人の痛みを感じることは
本能ではない。だから訓練して身につけなけらばならない」
時代環境のせいか、司馬遼太郎さんの言葉がやけに腑に落ちます。

今日も一日良い日に致します。
物流応援され団長・山田 押忍!

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