創造、体験、態度

親愛なる皆様
おはようございます。

ゴールデンウィークも終盤ですが、皆さん如何お過ごしでしょう?
私のゴールデンウィークは、人と会って話す機会が多く(ゴールデンウィークでなくてもそうか笑)、少し重ための相談事といった話題が主でありますが、相談に乗るというよりも私のお節介な性格がそんな機会を意図して創り出しているといった感じです。

されど、そんな話しができるのは信頼関係の証、そして自分自身の勉強にもなりますので、真剣に向き合います。
仲間や自分自身が悩み苦しんでいる時、いつも思い出す言葉があり、書棚から取り出して繰り返し読む文章があります。

****(以下引用)*******
人が生きるうえで実現する価値には三つの段階がある。

一つは一般的にいわれる何かを生産するような創造的な活動を意味する「創造価値」というものです。
例えば絵を描くなど、良いもの、美しいもの、素晴らしいものを創り出すクリエイティブな創造価値が、この第一段階の価値。
言い換えれば、絵を描くなどの行為を通して、「世界」に何かを与える行為に伴なう価値。

次に、「何かを与える」ことはできなくても、例えば、美しい風景に感動する、といった行為に伴なう価値を「体験価値」と呼びます。

そして、創造的な行為も、素晴らしい体験も制約され、生命が大いなる苦悩に直面した時にも、その苦悩にどう対処するかによって、第三の価値である「態度価値」が実現される。

***福島智著「ぼくの命は言葉とともにある」より***

これは、ナチスのアウシュビッツ強制収容所体験を著したヴィクトール・フランクルの著書から引用し福島智先生が描いた文章です。

福島先生は全盲ろうにして世界初の大学教授になられた凄まじい人生を力強く生きられている方です。
どれだけ、苦しい状況の中に立たされたとしても、いってみれば二進も三進も(にっちもさっちも)いかない状況にあっても、態度だけは自らの意思で選択することができる。

ましてや、私達は、フランクルのように強制収容所にいるわけではない、自由だ。
そして、目も見え、耳も聴こえる。
にもかかわらず・・・私達は、創造することもできれば、体験することもできる、にもかかわらず、傲慢な態度や、我儘や、誤魔化したり、拗ねたり・・・と、実に甘い。

恵まれた環境の中で、仕事や暮らしが出来ていること、創造や体験できる自由を与えられていることを自覚し、仲間達と共に価値ある態度で日々を歩んでいこう。

ゴールデンウィーク、お仕事、家族サービス、趣味・・・様々だと思いますが、くれぐれもご安全に。

今日も一日良い日に致します。
物流応援団長(兼)応援され団長
山田泰壮(やすお) 拝

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