立派な人

親愛なる皆様
おはようございます。

若い頃からずっと変わらず思っていることがる。
ここ最近よく思うので、今朝はそれを書く。

学歴、企業規模、役職、業績、収入・・・
これらは、その人をはかるモノサシとしてよく使われる。
これらによって、あの人は立派だ、この人は素晴らしい
人だと。ただ、これらは、その人の人格とはさして
関係がないことを忘れてはいけない。なのに、これらを
その人の人格だと勘違いをしている人が意外と多い。
もし、これらが人格とイコールならば、もし100人の人
が集まると卒業した学校の偏差値の固い順にに、もし
100人の経営者が一同に会したとしたら、会社規模や
業績順に人格の序列がつくということになる。
毎年の業績は変動するので毎年人格の序列は入れ替わり、
究極は為替の影響で、人格が上がったり下がったりする。

こう聴かされると、なるほど、これはおかしな話だ、
と誰もが思うのだが、日常では、人に対してそんな見方、
判断を意外としているものです。

高学歴な人でも、大手の社長さんでも、業績優秀な経営者
でも、傲慢な人、セコイ人、弱者をいじめるヒドイ人、
そんな人は山ほど居ますし、私自身も山ほど見てきました。
でも逆に、中学しか出ていなくとも、小さな町工場や居酒屋
のオヤジでも、業績が芳しくない経営者であっても、
素晴らしい人を私は山ほど知っています。

人格をはかるモノサシなどないが、司馬遼太郎さんが
その著、小説「菜の花の沖」の主人公、髙田屋嘉兵衛の
ことをこんな風に表現している。
原文は忘れたが、ざっとこんな内容

私がこれまで描いてきた人物の中で「立派な人」は誰か?
と問われたら、髙田屋嘉兵衛と答えるだろう。
信長や秀吉、竜馬というように鮮烈な光を放ち歴史を動
かしていく人物ではない。嘉兵衛は一廻船業の商人である、
しかし、身分や立場を越え、敵味方を越え、相手を尊重する
意志は自分の命をも優先するその底知れぬ度量、嘉兵衛から
人間の叡智、命の素晴らしさ教わった。
私が描いた最も立派な人である。

学歴、肩書き、業績などは、看板やワッペンみたいなもの。
まぁ一つの見印(めじるし)くらいのものであります。

今日も一日良い日に致します。
物流応援され団長・山田 押忍!

*画像は函館、高田屋嘉平像

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