「違う」よりも「同じ」に気づく

親愛なる皆様
おはようございます。

物流マネージャー実践研修の中のコーチングの授業では、「違う」を学ぶ。
同じことは何一つない、みな違うということ。

授業の中で、受講生の皆さんに1分間で同時に「山の絵」を描いてもらったりする。
書き終えて、皆で見せ合っこをするが、一つたりとも一度たりとも、あの人とこの人が全く同じ山を書いた!
という事象はない。みんな違う。まぁ当たり前と言えば当たり前
だが、これは絵に限らず、感じ方、物事の捉え方考え方、みんな違う、
同じ会社で同じ社長から未来ビジョンの同じ話を聴いても、未来の
描き方、イメージはみんなバラバラで違う。酷似していることも
あるかもしれないが、1ミリは違う。まぁこれも当り前といえば、
当たり前なことで、自然なこと、逆に、描いた山が皆ピタっと同じだっ
たり、感じ方、考えてることが全員ピッタリ同じだったら、不自然で、
気味が悪い、あり得ないわけだ。

と、分かっているにもかかわらず、
現実には何が起きているかというと・・・
「違うじゃないか!」「なぜ、分からんのや!」
「そんなこと云っちゃおらん!」などなどなど、「違う」に対して、
怒ってる、イライラしてる、嘆いてる。

一方で、初めて会った、もしくはあまり面識の無い二人にペアに
なってもらい、2分間で「共通点(同じ)」を探すワークも行なう、
そうすると、意外と共通点や同じところがどんどん出てくるわけです。
同性は当たり前、誕生月、趣味が同じなどはよくありますし、
年齢、出身地、長年このワークをやっていると、なんと、出身校が
同じだったり、共通の友達がいたり、共通点や同じことが沢山出てきます。
このワークはとても盛り上がりますし、皆さん楽しそうです。
現実、日常においても、苦手だった上司と趣味が一緒と分かってから
会話が楽になったり、時期は違うが同じ研修を受講していると知った途端、
話しが弾んだりということがよくある。

どうやら、
「違う」には反感や抵抗が生まれる要素が強く
「同じ」には共感や共鳴が生まれる要素が強いようだ。

多様性の時代は大雑把に云うと「違う」を受容する時代と
私は捉えているが、同時に「同じ」に気づくことが大事なようです。

今日も一日良い日に致します。
物流応援団長(兼)応援され団長・山田泰壮(やすお)

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