失敗しなきゃ分からない(下)

親愛なる皆様
おはようございます。

過日、同じタイトルの(上)では、
今は亡き父が息子三人兄弟の末っ子(私の実弟)に
事業継承をする際、バトンを渡す側と受ける側、
双方の苦悩の話しを引き合いに出し、
「失敗や屈辱は試練であり成長の為の条件といって
も過言ではない。試練とは試されて練磨されていく
ということだ」と今も変わらぬ想いを書いた。

世の中の様子も随分変わってしまった現代ならでは
の事業継承においての新たな苦悩を今朝は
<失敗しなきゃ分からない(下)>で書きたいと思います。

あの時、父に向かって
「成長してほしいと思うならなら、やらせて、
失敗させるしかないね」と偉そうに口にしていた私。

失敗から学び、それが成長の糧になるというのは、
失敗をしまくってきた私には分かる。

「敗」を「失う」と書いて「失敗」、つまり、
チャレンジし、失敗をすればするほど、敗が失われていく、
敗がどんどん失われていけば最後に残るのは「勝」である。
言葉遊びのようだが、私は失敗をそう解釈している。
「失敗とは、敗けを失うことである」
そして、その失敗はチャレンジの先にしかない。

自分自身が事業継承を視野に入れる齢になった今、
さぁ、果たして、どこまでチャレンジさせているだろうか?
やらせているだろうか?失敗させているだろうか?
失敗の手前で手出し口出しをしていないだろうか?
手出し口出しのタイミングが早すぎないか?多すぎないか?

という自問自答と同時に、時代環境が創り出している
もう一つの課題(苦悩?)は、失敗しない環境を与えなけ
ればならない時代になってしまったということ、
例えば、新規事業開始時期などは軌道に乗るまでの
暫くの間は会社に泊まり込み、寝る間を惜しんで働くなど
は当たり前の時代は終わり、そんなことは絶対にさせ
てはならない。昭和のリゲイン時代はもうとっくに
終わっている。(リゲインすら知らない人が多い笑)

労働時間や日数の短縮は益々進み、無理な労働は
させれないという前提の中で・・・
親や先生や上司に殴られた時代など今は昔、
厳しく叱られることもなくなった、
殴られない、叱られないどころか、この2年コロナに
よって、会わずにコミュニケーションをとる手段も
急激に普及した。

そんな時代環境の中では、失敗し苦渋を味わい、
悩み苦しみ、そこから学び、成長していくという
プロセスを味合わすことができないではないか!

というのが、時代環境が創り出している
人財育成を困難にしている大きく根深い課題であります。

されど、
事業をしっかり継承していかなければなりません。

では、
労働時間や日数の短縮は益々進み、無理な労働は
させれない時代、殴られることも、叱られることも
なくなった時代の中で、どうやって成長していく
のか?成長させていくのか?

<失敗しなきゃ分からない>のお題は、
これで終わりとし、次回、<新時代の成長手段>と
題して、私の持論を書きたいと思います。

今日も一日良い日に致します。
物流応援団長(兼)応援され団長
山田泰壮(やすお) 拝

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