「夜と霧」を日常に活かす
親愛なる皆さん
おはようございます。
フランクルの「夜と霧」は、
事あるごとに読むようにしている。
特にしんどいことや悔しいことなどがあると、
読むようにしている。
元ボクシング世界チャンピオンの村田諒太さんが
スランプに陥った時に、お父さんに「この本を読
めば大概のことは大丈夫」と云って渡されたそうだ。
著者のフランクル自身がナチスの強制収容所での
生死ギリギリの極限体験を綴った書。
どれだけ辛いことや苦しいことに直面しようとも、
夜と霧を読めば、
自分がどれだけ恵まれた環境条件の中で仕事や
暮らしが出来ているかに気づかされるのと同時に
自分の甘さや弱さや傲慢さに気づかされる。
人間としての絶対的自由に気づいた
フランクルの言葉は本質を突いている。
「どのような状況になろうとも、
人間にはひとつだけ自由が残されている。
それは、どう行動するかだ。」
仕事において、私生活において、人生おいて、
誰もが常に多くの問題、課題、悩み、苦しみを
抱え生きている。時に生死に直面するようなレベル
の問題に直面することもあるだろう。
しかし、殆どはそんなレベルからすれば、
まぁ言ってみれば、大した問題ではない。
にもかかわらず、必要以上に難しく考えて、
不平不満を口にし、表情や態度にネガティブ感を
おもむろに出してしまったりしている。
先日、どうしても不平不満や愚痴、文句が
抑えきれず、直属上司の管理職では手に負え
ないという社員と面談をした。
はじめと終わりでは表情が変わった。
面談後は、暴言を吐いた上司に頭を下げ、
謝罪の言葉を述べていた。
面談は勉強だ。
「この野郎!」と思っても、
その人に対して思うこと感じることは、
少なからず自分の中にも在る。
面談中や面談後は自戒の念に駆られることが多い、
そして、心の中で自分に向けてよく呟く言葉がある
「お前どの口が云うてんねん」
ワルサも失敗も沢山してきた不良がよくもまぁ偉そうに・・・
面談は自分に気付くための勉強であり、
人財育成の場であり、時に自戒の機会でもある。
そして、問題課題、悩み苦しみを共有し、共に乗り越え
ていくための共同作業でもある。
ナチスの強制収容所の体験を記したフランクルの著
「夜と霧」の中で、「苦しむこと、それ自体に意味が
ある」と云い「苦しむことは何かを成し遂げること」
と書かれている。
「夜と霧」と「我々の日常」の苦しみとでは、
比較にはならないかもしれないが、
大事なことは、読書や研修など学びの機会を通じて、
如何に日常の実践に、我が人生に活かすかということだ。
今朝は、愛媛県松山から。
実践研修初参加の企業さんへの訪問です。
今週は出張が続くハードな一週間ですが、
気合いを入れて動きます。
梅雨に入り高温多湿の鬱陶しい時季ですが、
皆さんくれぐれもお身体ご自愛ください。
今日も一日良い日に致します。
物流応援団長(兼)応援され団長
山田泰壮(やすお) 拝



